宇宙のお話09「器の大きさ」

 

お腹いっぱい

イラスト:今井宏枝(旅うさきより)

 

前回のブログで、「余剰」と「欠乏」を行ったり来たりして振り子を大きく振ると、大きな幸せと大きな絶望を行ったり来たりする。
そうする事で成長するのではないかと書きました。

そして、「幸せな金持ちや成功者」は、「欠乏」を埋めようとして求めるのではなく、現在に集中しているだけなのではないか…と書きました。

 

この両者の違いについてもう少し書きたいと思います。

 

私はよく神社に行きます。
そして神社でお参りをした後、おみくじを引きます。

面白い事に、おみくじで質問の答えが返ってきたりするのです。
大吉とか小吉とかの他に、裏に書いてあるような文章の中に、今の状況に対するアドバイスとしか思えないタイムリーな事がよく書いてあるのです。

もちろん偶然当てはまっているように見えているだけかもしれません。
でも私はアドバイスとして受け止める事にしています。

 

そんなある時、何かに対して「うまくいきますように!」的なお願い事をした後、いつものようにおみくじを引いたのですが、その文章の中にこんな事が書かれていました。

「小さな袋に無理に物を入れようとすると裂ける。まず徳を積んで器を大きくしましょう。」(うろ覚え)的な事が書かれていたのです!

 

ショーック!そしてなるほどー!!

と思いました。

 

実にごもっともで明快な答え。
真理だと思いました。

 

「余剰」または「欠乏感」から始まった振り子の旅は、「喜び」と「絶望」、「ボジティブ」と「ネガティブ」、「陰」と「陽」…などの2面性を必ず持っています。

そうすることで運動(経験)を生み出し、成長しようとしているのです。
経験を積み重ね、あらゆる苦労や達成感を乗り越え、成長した地点が「現在地」であり「自分の器」だと思うのです。

「自分の器」以上のものを求める事…それこそが振り子を振るための「余剰」なのです。「余剰」とは余分であるという事です。

器以上のものを求めてしまうのは「欠乏感」を埋めようとする行為です。
今のままの自分では価値がないような気がするから、あれをできるようになって価値を高めたい!そんな具合です。

つまり振り子が振れているのです。

振り子を振るという行為は、自分を成長させようとする行為です。
その成長によって「自分の器」は少しずつ大きくなっていくのです。

 

おみくじに書いてあったのは、「自分の器」以上の「余剰」を求めると、対極のものもセットで来るよ!
という忠告ですよね。

でもおみくじにはもう一つ解決法も書かれていました。

 

「徳を積んで器を大きくしましょう。」です。

 

「徳」とは、おそらく「余剰」の反対側にあるもの。

陰と陽で言えば陰、損と得で言えば損の方です。

最初にいい方を取ろうとするから、後から絶望がやってくるのです。
どちらも同じ分量やってくるんだから、プラスとマイナスのマイナスの方からやれば、あとはハッピーしかやってこないですよね。

かと言って、これは器の「大きさ」とは関係ありません。

 

実はプラスもマイナスも元々は同じものを分けただけなので、内容は一緒なのではないかと思うのです。

印象は違うような気がしますが、正体は同じであると考えています。

 

つまり、電車の中の空いている席を真っ先にゲットした時と、近くにいたお年寄りに席を譲って自分は立っていた時。

これが実はどちらも同じ内容ではないかと思うのです。

同じ事象の違う面を体験しているだけなのです。

 

本人にとってはどちらの行為も同じだけの経験であり、成長の糧です。
席をゲットする喜びを知るから、お年寄りに席を譲りたいという気持ちも出てくるのです。
逆に席を譲られたりしたら、その喜びを知り、譲ることの価値を知ることができます。

 

席をゲットしたいとも思わず、席を譲ったりもしなければ、おそらく器は大きくなりません。

 

「徳」と言っているのは、譲る方に焦点を当てているだけで、同時に反対側の行為も含まれているのでしょう。

あえてゲットしなさいなんて言わなくても、そちらの方は自然にやってくるんだから、まず自分から行う行為としては譲る方をしなさいよと。そんなことを言っているんじゃないでしょうか。

 

「徳」を積むことで振り子は穏やかに振れ、成長することができ、その結果「器」が大きくなるのです。

 

仏教の本に書いてあったことの中にこんな文章がありました。

「与える人は損をしますか?いいえ、限りなく得をします。
与えれば与えるほど、幸福は増します。」

 

そういうことらしいです。

 

 

自分の器の大きさに似合ったお願いならば、振り子の「余剰」を生み出すことなく、すんなり入るよと。
そんなことがおみくじに書かれていたのだと思います。

 

最初に書いた「幸せな金持ちや成功者」はなぜ振り子を振らずに何かを手に入れたり出来るのか…ということの答えは、

 

 

その富が入るだけの「器」を持っているからでしょう。

 

 

 

例えば、私が宝くじで100万円を当てたら、とても大きな棚ぼたゲットですけれど、
ビルゲイツが100万円当てても屁でもありません。

これは、器の大きさが違うがために100万円が占める割合に大きな隔たりがあるということです(涙)

器の大きな人にはすんなり富も入ります。
しかし10万円くらい入るといっぱいになる器の人だったら、宝くじで3億円なんか当てた日には人生が狂ってしまうかもしれません。
そういう話はよく聞きますが、そういう事なんじゃないかなと思います。

ビルゲイツが3億円当てても人生狂いませんよねきっと。
別にビルゲイツが幸せな成功者だと言ってるわけじゃないですけど。
例えばなしです。

 

子供の頃どうしても欲しい豪華なおもちゃなどありましたでしょうか?
その頃お目当てのものをゲットしたら天にも昇る勢いで喜んだでしょう。

しかし、大人になってそれをもらっても「こんなんだっけ」「べつに…」「ふーん」で終わりませんか?

もう今となっては、それ以上の価値のあるものをたくさん手に入れてしまったのです。
いろいろな経験もして器が大きくなっているので、おもちゃを手に入れたところで「余剰」にはならないのです。

器が大きくなるということはそういう感じだと思います。

もちろんこれは例え話であって、ノスタルジックなものの価値とか物だけが幸せじゃないとかそういう話ではないですよ。

 

器が大きくなるということは、富が入る大きさ以外にも、人に与える影響力なんかも大きくなるんだと思います。
受け止められる物事の量とか。

 

「幸せな成功者」らがやっている「欠乏」や「余剰」を生み出すことのない働き方というのは、自分にないものを求めて埋めようとするのではなく、「今に集中する」、つまり「楽しいからやっている」とか、「自分のためではなく仕事自体のために集中している」とか、そういうことなんじゃないかと思います。

もしくは、それこそ「徳」を積むやり方でもいいかもしれませんね。

 

今井宏枝