宇宙のお話08「天使と悪魔」

 

%e5%a4%a9%e4%bd%bf%e3%81%a8%e6%82%aa%e9%ad%94

イラスト:今井宏枝(旅うさぎより)

ちょっと話をそらして余談です。

「天使」と「悪魔」って本当にいると思いますか?
分からないですねそんなことw

でももしそれを「いる」と仮定して色々考えてみたいと思います。

 

5次元の話で「振動数違い」の自分が連続して並んでいると言いました。
では一体始まりはどこで、終わりはどこなのでしょうか。
私はこれもビックバンとビッククランチの連続であると考えます。
つまり、ビックバン前の1点の中に全てが収まっている状態が振動数が最も高い状態。
ビックバンで宇宙が膨張を始め、最大限にまで膨張しきった時が、振動数が最も低い(荒い)状態。
ではないかと思うのです。

まぁ、同じ中身のものが1点に収まっている所から膨張するんだから、観念的にもそんな感じがしますよね。
大きくなればそれだけ密度は低くなる。
密度が低い=波の間隔が大きい という感じがしますね。

振り子に例えるなら、
「振り子が止まっている状態 」
→ 「振り幅が小さく、細く動いている状態」
→ 「振り子がMAXまで大きく振れている状態」という順番です。

どの状態もエネルギーの総数は同じなのに、小さく細く動くか、大きく荒く動くかという違いがある状態です。
エネルギーの総数は同じでも振動数が違うことで状態が変わるのです。

 

では、振動数の違いが、人間的に言えばどんな状態の違いを生むのかを考えます。

 

以前のブログで、「成長」するためには「欠乏」が必要だと書きました。

「宇宙さん」は、完璧な状態の1点に収まっていたのに、
「成長」をするためにわざわざ「欠乏」を用意したのです。

それは振り子を振るような事だと思うのです。

バランスの取れた「中心」から振り子を少し右側へずらすと、左側に「欠乏」ができますね。
それで、振り子はその「欠乏」を取り戻そうとして今度は左へと向かいます。
すると今度は右側に「欠乏」ができるので、今度は右へと向かいます。

はじめに振り子を右側へ余分に動かし「余剰」を作る事で、逆の位置に「欠乏」ができ、
そのおかげで「動き」が生まれたのです。

「欠乏」か「余剰」どちらかだけが存在する事はありません。
何かが増えれば何かが減る。
それが運動を生むのです。
運動とは、人間的に見れば「経験」に当たるのではないかと思います。

 

試合で負けた→悔しい勝ちたいという「欠乏」が生まれる

→負けの反対である「勝者」になるために努力する

→思い通りにならなかったり辛かったりしても頑張る、あるいは頑張れないという「経験」をする

 

「余剰」が生まれた分同じ量の「欠乏」が生まれます。
したがってエネルギーの総量は、もともとの1点にある時と同じかのように思えます。

しかし、不思議なことに「余剰」と「欠乏」を繰り返すことで「経験」という新しいエネルギーが発生しているのです!
これは元々のビックバン前の宇宙にはなかった新しいエネルギーです…

この、新しく生まれたエネルギーが「成長」なのではないかと思うのです!

 

実は私はこれが言いたくてこの話を書き始めました。
「宇宙さん」の目的はただ一つ。「存在すること」。
しかしこれについてはおいおい話を詰めていきたい思います。

人間にとって「経験」は「成長」に必要です。
宇宙さんにとっては「運動」は「膨張」に必要なんです。

 

宇宙さんの膨張が進み、MAXまで膨張しきったとしましょう。
振り子の状態で言えば、ものすごーーく大きく左右に揺れている状態です。

これを人間に例えると、ものすごーーく大きな喜びと、
ものすごーーく大きな絶望を行ったり来たりしている状態と言えると思います。

一振りがものすごくデカイので、思いっきりこの世のMAX的な喜びを味わい、
それとセットになっている対極のすっごい絶望をも交互に味わうという状態です。

 

これです。
これは何かに似てませんか?

これこそ「悪魔」の特徴として私たちが持っている印象じゃないでしょうか。

 

甘い誘惑や欲望を煽り、病みつきにさせておいてそれを奪い、絶望へ叩き落す!
それが「悪魔」じゃない??

例えばこの世のものとは思えないほどの絶世の美女や美男子が
世間に背を向けてでも駆け落ちしよう!と持ちかけてきたら行っちゃいますか?
ものすっごい好みという設定です。

あるいは、この世の富の大半を手に入れられるチャンスが目の前にやってきたら、
それが道徳的にどうなんだということでも手に入れちゃいますか?

もしくは、世界的栄誉に輝くチャンスが転がってきました。
手に入れたいですか??

 

もしも「悪魔」がいたら、そこらへんを勧めてくるはずです。

 

でも「余剰」と「欠乏」はセットです。

必ず余分に手に入ったものは対極の欠乏もやってくるので、
手に入れた喜びの分だけ絶望があるはずです。

でも、セオリーから見ればこの「悪魔式成長法」はものすごい大きな「経験」ができて、よってその分大きく成長できると思いますけれど。

 

求めれば求めるほど、喜びと絶望を手に入れて成長するようにできているのです。

 

ただし、これは宇宙の「膨張段階」の成長の仕方です。

 

「幸せな金持ちや成功者もいるじゃないか!」と思ったかもしれません。
でもそれは少し段階が違う場所にいるのです。

 

宇宙がMAXまで膨張しきり、
収縮を始め、元の1点に向かって戻り始めたら…
今度は振り子の振り幅を小さくしていくことが「成長」になります。

「無」へと向かっていくのです。

 

私は「天使」の特徴がよく分からないので、「仏教」で考えさせていただきます。

 

ブッダは、あらゆる煩悩を捨て、輪廻を終わらせることが解脱への道であると言っています。

「解脱」とは、「無」へと向かうこと。
初めの1点に帰ることではないでしょうか。

「煩悩」とは求めること。
「欠乏」を感じそれを埋めたいと感じることだと思います。

つまり、「煩悩」を捨てていくということは、
振り子を振ることをやめていく、小さくしていくということではないでしょうか。

 

 

今までブンブンでっかく振っていた振り子を、徐々に細かく繊細に動かしていきます。
それは「振動数」を高くしていく事ですねきっと。

振動数が高くなれば、荒々しくて気がつかなかった細やかな気持ちの動きや、繊細な移り変わりなどを感じ取れるようになっていきます。

 

 

ブッダの言葉に「生もまた苦である」というのがあります。
これは、求めることと苦しみが切っても切れない関係にあるということだと思います。
苦しみだけじゃなくて喜びもありますが、確かに求めること、すなわち煩悩があるが故に
「余剰」と「欠乏」を繰り返す生き方は、悪魔の所業のようにしんどいことですよね。

 

ブッダは、「煩悩」を捨てる方法として「瞑想」をすることを説いています。
つまり、「いま現在」に全神経を集中させるということです。

それは、「輪廻」を終わらせるためではないかと考えています。

「輪廻」とは、原因と結果の繰り返しのことだそうです。

人間社会は全て「輪廻」でできています。

この世を形成しているのは、人類が始まってから脈々と受け継がれてきた人々の想念の積み重ねによるものです。
良いも悪いも、社会の成り立ち、喜ばしいこと、目指すべきもの、善、悪、みーーんな人間が体験して築き上げてきたものです。
その社会に生まれてきた赤ちゃんは、その社会のルールを覚え、そしてそれを自分のものとして意思決定をしていく。
自分の生まれた環境の想念で生きるのです。

自分にとっての正義が、お隣の国では悪だったりすることもあるでしょう。
そんな時、自分の考えこそが正しい!と思い込んでいると戦争に発展してしまう可能性がありますね。
自分の考えこそが正しい!と思っているのはなぜでしょうか。
落ち着いて考えてみれば、そう聞いて育ったからなんですよね。

 

なんと、仏教においては、生きている間だけでなく、死んだ後もその輪廻は続くと言っています。
それを「業」と言うそうです。

しかし、前のブログに書いたように、肉体が振動数違いの連なる自分の「ある周波数」に過ぎなければ、それも特に不思議ではないように思います。

 

ともかく、原因と結果の無限の繰り返しが「輪廻」です。

 

それを「断つ」のが「解脱」です。

つまり、「瞑想」して過去や未来への意識を捨て、何とも繋がりのない「現在のみ」に意識を集中させる…
ということだと思うのです。(多分)

そうすることで、何かを求めたり欠乏を感じたりする「煩悩」へ向かう意識も断つということでしょう。

 

先ほど書いた「幸せな金持ちや成功者」というのは、
「現在」に集中しているだけなのですよきっと。

「欠乏」を埋めるために大きく振れているのではなく、
「今現在やっていること」だけに集中しているため、振り子は触れず、よって絶望も縁がないのです。

焼け付くような過激な喜びもないでしょうが。

でも絶対幸せですよねー。

 

仏教についてはもっと書きたいと思います。

 

今井宏枝