宇宙のお話14「マトリョーシカ」

 

%e3%83%9e%e3%83%88%e3%83%aa%e3%83%a7%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%82%ab

 

以前のブログで、すべての存在(人に限らず石や物に至るまで)には役割があり、
活かすことが大事なんだというおみくじが出て、多様性の社会のことを言っているんだと感じたと書きました。

もう少し多様性の社会についての思うところを書こうと思います。

 

多様性の社会のことを考えた時、宇宙はまるで「マトリョーシカ」のようだな〜と思うんです。
人形を開けたら、その中にサイズ違いの同じ人形が入っている。
それを開けたらその中にさらに同じ人形が入っている。

 

まさしくパラレルワールド。

 

サイズは違えど内容は同じ世界が幾重にも連なっている。
お土産のマトリョーシカと違うところは、それぞれが独立して関連がないわけじゃないというところ。
中身の人形が病気になると、上の人形の体調も悪くなるという関係性があります。
一つ一つの人形(世界)が、一つ上の人形(世界)の中身を形成し担っているのです。

 

私たちの住む人形(世界)には、いさかいや戦争がよくありますね。
これは、それぞれが自分が正しくて相手が間違っていると思うことから始まります。

しかし、それは前にも言ったようにどこからか植え付けられた価値観によるもので、
価値観の相違が「正しい」や「間違っている」を作っている、
その価値観はそもそもそう聞いて育っただけであって、ところ違えば環境も違うということ。

それからもう一つ。
「自分」と「それ以外」とを切り離して考えているからです。
しかし、本当は密接に関わりあって存在しているのです。

 

 

人が10人いれば、10通りの見方、考え方がありますね。
それは、どれが正しくてどれが間違っているというものではありません。
例えばタイプが正反対で、几帳面で慎重派の人から見れば大雑把で行動的な人が間違っているように見えるでしょう。
しかし、逆から見ればその人もまた、間違っているように見られているのです。

では、どうしたらみんなが満足できるのか。
それはやはり、配慮と尊重なんだと思います。
そうすれば、偏ったタイプの社会ではなく、様々なタイプの人間が共存できるます。
多様性ということですね。

 

自分と同じタイプの人間が集まっていれば住み心地もいいかもなーと思うこともあります。
でも、この世の中を見回してみても、そうはいかないですね。
それはなぜでしょうか。
必要だからです。

 

例え話ですが、ある農家が、農薬を使って虫や鳥を駆除したところ、予想していながった害虫や微生物が増え、結局収穫量が落ちたという話があります。
邪魔者にしか見えなかったものが、実は必要だったのです。
人間が考えるよりもずっと、世界のバランスは絶妙な調和によってできているのだなと感じました。

 

この地球が存在しているという時点で、地球内の生物や物質は全て必要な物なのです。
それはなにも、物質的な意味だけではありません。信念、思想、考え方、全てに当てはまります。

 

もともとは1点だった宇宙が膨張して別れたのです。
あっちにないものがこっちにあって、こっちにないものがそっちにある。
合わせて初めて「全部」なんだと思うのです。

そしてさらに、この「全部」の中にもマトリョーシカのような階層があります。

 

体内の細胞は、それ自体が独立した存在でありながら
集まる事で器官や臓器となり、機能を果たすようになります。

 

これを人間に置き換えると、私たち個人の人間は、それぞれが独立した存在でありながら社会の一部の仕事を担ない、集まる事でさらに上の機能を果たすようになります。
それを会社としましょう。

 

会社は、それぞれ独立した存在でありながら国の一部を担っています。
警察や交通整理、工務店、医者、メディア…様々な機能を持つ会社や器官が集まって国を造っています。

 

そう考えると、国は地球の一部を担っていて、地球は宇宙の一部を担っていると考えられるでしょう。

 

そう考えると、私たちは宇宙の細胞のようです。
どれも必要です。
例えば、肺と心臓がけんかをしたら、その上位意識である人間は病気になると思います。
肺と心臓の機能が違うからといって対立していたら、上位意識の人間が病気になり、自分たちの生存も危うくなりますね。
上位意識の人間とは、一つ上のマトリョーシカ人形です。
多様性の社会を意識して生きるということは、一つ上の人形の意識で生きるということです。
それはもはや一つ上の次元へ移動している生き方だと思います。
例えば、個人レベルではなく会社全体の意識の事を考えること。
会社であれば、国全体の事を考える事。
国であれば、地球全体の事を考える事。

 

それが、「一つ上の次元(人形)へ上昇」した意識であり、
次元移動の一つの方法かもしれませんね。

そうなると、「上昇」した意識で考えたとき、
対立ではなく、配慮と尊重で生きていくのが、
上位意識の健康のためだな~と思います。

 

マトリョーシカ全体の健康は
配慮と尊重でできている。のかもしれません。

 

今井宏枝