宇宙のお話10「生きる事と煩悩」

 

ひょっこり

イラスト:今井宏枝(旅うさぎより)

 

仏教で言うところの「煩悩」とは、求めることではないかと書きました。

私は昔から、「煩悩」のない人間ほどできた人物であり、良い人だという観念をなんとなく持っていました。
目指すべきは「煩悩」のない人格者である思っていました。

 

しかし、それに矛盾する感覚もありました。
以前書いたように、「煩悩」がなければ行動するきっかけも生まれず、結果「成長」するチャンスもなく、生まれた時から何の変わりもない「静止したような人生」になってしまうではないか!

 

ここでまた「おみくじ」の話なんですが、
ある時、いつものように私は神社に行き、ある悩み事について質問を投げかけながらお参りをしました。

 

「自分を滅するべきか、活かすべきか。」

 

周りの意見と違っていても、自分の思っていることを強く押し通しても良いのか。
それとも自我を滅して周りの意見を聞き入れるべきか。
おおよそそんな感じの意味です。

自分の意見を構わず押し通して、相手の方に折れてもらい、なおかつ自分の意見に賛同してもらいたい!
それが本心です。
しかしそれは「煩悩」ではないのか。
自分の意見が通れば、相手の意見は世に出ません。
しかし、自分は活かされます。

相手がやろうとしていたこと、相手の意見で進むべきはずだった物事が、
私の意見によって変えられてしまうのです。
そんなことをしてもいいのだろうか??

アホみたいかもしれませんが、割と私の中をずっと占めていた考えです。

 

その相手の意見が明らかに間違っているなら意見する意味もあるかもしれません。
でも「明らかな間違い」なんてものは大抵の場合ありません。
どんな意見ややり方にも意味はあり、価値があります。
それを潰してしまっていいのか?

しかし、相手の意見を尊重していると、
「本当はそうは思わないのに…」という気持ちでいるために、相手に合わせるだけになってしまう。
その場だけ合わせているだけ。
合わせているけど、どこか他人事のように遠く感じます。
自分は参加していないような感覚になります。

そんなのがいいとも思えませんね。

 

そんな感じで悩んでいたんですね。
で、神社で問いかけたわけです。

参拝の後、いつものように「おみくじ」を引いたのですが、
それが質問の答えとしか思えない内容で、私は驚いてしまいました。
おみくじの内容はこうです。

 

「例え動物や石や物であっても、この世に存在する全てのもには役割がある。
それを活かす事こそが必要である。」(だいたいこんな感じの内容)

 

私は電撃ショックを受けたように激しく納得しました。

 

「なるホドーーーーー!!」
全くもってその通り!真理以外の何物でもない!!

私はそう思いました。

 

それこそ「多様性の社会」として叫ばれていることです。
地球上にいる様々な生命や自然、人間の中にも様々な特徴を持った人がいます。

どの人が正しくてどの人が間違っているということはありません。
それぞれが役割を持って存在し、どれが欠けてもいけないのです。

 

つまり、私にも役割があり、それを活かしていかないといけないわけです。
私が突飛なことばかり言うタイプであったとしても、突飛なことを言う役割であるということです!

なんだかとても嬉しかったですね。

いいんだ!という気持ちです。
がっつり世の中に組み込まれていきたいです!!
そう考えると、ワガママになっても別にいいのではないか。
それによって起こる出来事もまた、必要だということではないか。
それが「生きる」ことじゃないのか。

 

試しに私は、いつもなら言わないような本音をネット上に書いてみました。
いつもの私は、当たり障りのない、どんな人にも受け入れられるような範囲と思われることを書きます。
テレビみたいですね。
でもここであえて、本心だけど言ったら引くだろうな〜という趣向のものを書いてみたのです。

案の定、いつものようには「いいね」を押してもらえませんでした。
引いてるんだろうな…と思っても割と平気でした。
これが「私」ですから。
しょうがないのです。

ところがなんと、一人だけ賛同のコメントを入れてくれたのです。

 

ここで私は初めて気が付きました。
「この人ってこう言う感覚なんだ!」と。
今までまるで分かりませんでした。

これまでは、ぼんやりと全体に向けた意見を言っていたので、
その反響の手応えもぼんやりとしたものになって当たり前でした。

しかし自分を出してみた途端。
ちゃんとはっきりした輪郭を持った相手が見えてきたのです。
しかも、合わせなくても引かない相手です。

人数の問題ではありません。
自分が自分でいられる事の方がよっぽど魅力的です。

なぜ私は今まで、合わせようなんて考えていたのだろう。
みずから自分らしくいられる世界を遠ざけていたのです。

 

 

結局、一番自分を認めていなかったのは自分だったということです。

 

 

ものすごーーく話が逸れてしまいましたが、「煩悩」とは何かについて書くつもりでしたw

このように自我を出していくのも「煩悩」です。
「煩悩」によって生命体としての「生きる力」が備わっているのです。
「煩悩」は「生きる」ために必要なことだから、人間や動物が持っている機能なのです。

 

しかし、「苦しみ」に苛まれているとしたら、その原因も「煩悩」なのです。

その辺について書いていこうと思います。

 

今井宏枝