宇宙のお話04「ビックバン」
Date : 2016/08/21 作成者 : hiroeイラスト:今井宏枝(旅うさぎより)
日々妄想をしていて、あるときフと思いついた事があります。
結論から言ってしまうと…
宇宙の究極の目的はただ一つ。
それは「存在する事。」ではないかという事です。
前のブログに書いてきた多次元宇宙の話はずっと昔から興味があっていろいろ考えていました…
以前私は、5次元宇宙またはそれ以上の宇宙は、現在私たちが存在している場所とは全く違うところのあるのだと思っていました。
何かでしっかり隔てられていて、行き来する事は全くできない異世界。
私たちが存在している3次元+時間の時空。
それ以上の次元は私たちには認識する事も移動する事も出来ません。
でもそれが違ったのではないか。
そうじゃなくて、すでにここに全次元が存在しているのではないか?
いえ。正確には
「自分」という存在は、全次元にすでに存在しているのです。
それが私の持論ですが、そう考えると何かしっくりくるのです。
私たちが認識できる場所、意識を置いている場所が現在の次元であって、
認識できずとも、すでに私たちはあらゆる次元の中にいるのではないでしょうか。
「全次元」
それが本当に11次元なのか…はたまたもっと沢山無限にあるのかどうかは置いておいて…
そこには宇宙の阿から呍まで。初めから終わりまでが含まれています。
つまりは「自分」が最低次元から最高次元まで、全てに存在しているという事です。
まるで金太郎飴のように「自分」がずっと繋がっているのです。
ここにいる自分がテーブルの上のコップを手に取ると、高次元の自分も低次元の自分もコップを手に取っているのです!
もちろん次元違いの話ですから、同じ「事象」であっても次元が大きく違えば、その有り様も大きく違うでしょう。
異次元の世界の事は分からないので、仮に大人と子供に例えるとすると、
A君がB君のおもちゃを取って喧嘩になったとします。
それが大人の次元では、領土を侵略されて戦争になるという事象と同じですよね。
そんな具合でレベルの違いこそあれ同じ事象があらゆる次元で起こっているのです。
もちろん究極の高次元であっても同じ事象が起こっているはずです。
逆に言えば、究極の高次元で起こっている事が、同じ「事象」となって「自分」に起こっているのです。
よく、ミクロとマクロは相似しているという話を聞きますよね。
もちろん、私たちに認識できる次元での話ですが、社会の構造と体内の構造が似ていたり、宇宙の構造と原子や電子の構造が似ていたり…といった具合。
それは、おそらく、「同じもの」の「次元違い」という現象が、いたるところで起こっているからではないでしょうか。
以前疑問に感じていた事に、「人はなぜ成長したい」と思うのだろう…と思った事があります。
人は成長できた時に喜びを感じます。
どんな人も心のどこかで成長しなければ…と感じているのではないでしょうか。
「こうなりたい」「ああなりたい」
そのための努力、苦しみ、それを経て何かを得たとき、人は心から喜びを感じるはずです。
成長できたときに悪い気分になることはまずないのではないでしょうか。
なぜ?
それは「宇宙さん」が成長したいと思っているから。
同じ事象が起こっている訳ですから、そういうことになります。
「宇宙さん」の成長ってなんでしょうか。
それは、ビックバンから始まった「膨張」です。
「膨張」してから「収縮」して元の「無」に戻る。
ここでいう「無」とは、何もないという意味ではありません。
全てが「無」の中に集約されているのです。
全て「ある」から「無」でいられるのです。
ここで、少し「無」について自分の考えを書きたいと思います。
「無」の中に全てがある状態とは一体??という話なんですが…
最近になって「断捨離」なんて言葉がポピュラーになったりしてますよね。
必要なもの以外いらない。
むしろ手放したい。
そいういう発想です。
それは、もう必要ないのです。
だからいらないのです。
なぜいらないと感じたのでしょうか?
「もう持っているから」なんです。
人は何かを欲する時、必ずそれが自分に欠如していると感じています。
物だけの話ではありません。
友人、恋人、仕事、成功、リア充…
そんなものを求める時も、実は欠如を感じているのです。
「欠如」を感じた瞬間、それを求める旅に出ることになります。
その結果人は成長し、苦しみ、悲しみ、喜ぶわけです。
しかし、求め続けた結果「もうそれを手にした」と感じるまでに至ると、次はどうなるでしょう。
求める必要がなくなるのです。
なぜなら「もう持っている」からです。
持っているふりではありません。
心の底から「もう持っている」と感じていることが重要です。
これはほんの序の口。
「もう持っている」ものが多くなると一体どうなるでしょうか。
今まで求めるべきだとされてきた常識が常識でなくなります。
「仕事で成功したい」
「恋人を作りたい」
「お金持ちになりたい」
「人から認められたい」
などなど。
すでに満たされている状態では、人はもうそれを求めなくなりますよね。
全てが自分の中に満ちている状態では、今までのような努力や成長も必要ではなくなるのです。
お釈迦様の「涅槃」ってありますよね。
あの怠けて横になりながらテレビを見ているような格好です。
私は、あの格好にもっと奥深い何かの意味があるのだろうと思っていましたが、
…やはりあれは「もう何もしない」という状態なのではないだろうか…と感じています。
「もうすでにある」から「もう何もする必要がない」状態です。
要するに気持ち良くボーっとしているのです。
…それが「無」です!
「全てがある」状態は「無」なのです!
何かになりたいとか、ああなりたい、こうなりたいも一切ありません。
ないのです。
それはあくまで人間に認識できるレベルでのお話。
例によって全ての次元でそれが起こります。
宇宙がビックバンして、膨張している間は、私たちは夢や希望、欲望や絶望と共に成長を続けるでしょう。
しかし、宇宙の膨張が止まり、今度は収縮に入ったら…
断捨離の時代です。
しかしそれは自然な流れでそうなるだけで、決して無理をしているわけではありません。
もうお腹いっぱいだから食べないだけなんです。
今度はいかに無駄なものを捨てるか、それが私たちの「成長」に切り替わるのです。
後退しているように見えるかもしれませんが、後退しているのではありません。
これが前進なんです。
「無」へ向かう事が、今度は「成長」になるのです。
荒々しかったものは、確実に洗練されて行きます。
無駄なものがどんどんなくなり…やがて行き着く先。
それが「無」。
しかし全てがその中に「在る」のです。
「無」について考えていると、面白いことに気がつきました。
結論の、宇宙の目的はただ一つ「存在する事」というところまで行くのに、まだまだ続きがあるんですが(^^;)
一旦ここで終了〜
ーつづくー
今井宏枝