宇宙のお話12「無常」

 

ガーン

イラスト:今井宏枝(旅うさぎより)

以前のブログで、肉体として目に見えるものは、
プリズムで言えば「赤」や「緑」の部分があるように
周波数違いの自分が連なっている中の「物質部分」に過ぎず、
「肉体」の振動数違いの自分が物質の範囲外に広がっているのではないか…という仮説を書きました。

それから、生霊や念のような(または幽体や霊体のような)「意識」は、
その肉体以外にも広がっているエネルギーの部分ではないのかと仮説しました。

人間の「意識」はエネルギーなのではないか。

 

そう考えたのは随分前のことですが、新しく仏教の本を買って読んでいると、
その仮説も案外本当かもな…。となんとなく確信が持てるようになってきました。

 

「輪廻」というと、私たちは生まれ変わりの事を連想しますよね。
仏教でいうところの「輪廻」とは、生まれ変わりの事だけではなく、
「原因」と「結果」の繰り返しの事だそうです。

この世の全ての事象には「原因」があり、それによってもたらされている「結果」が現れているのだという事です。

例えば、筋トレが好きで、自分の体を鍛える事が好きなんだという人がいたとしましょう。
その「原因」は実は子供のころ虚弱で、その事がコンプレックスだったために反動として強くなりたい!と思った。
その「結果」筋トレ好きになった…ということがあるかもしれません。
そんな具合に、どんな事にも原因があって、そのせいで結果が生まれているに過ぎない…ということです。

また「強い肉体をつければ強くなって認めてもらえる」と判断したのも、そういう概念をどこからか聞いたか観たかして、その「結果」そういう考えに至っているのです。

やることなすこと、全て必ず原因があり、それに動かされている、反応しているだけだということなのです。

シュールですね。

でも真理だと思います。

ただ「反応」に身を任せていると、「輪廻」はいつまでも続くので、それを終わらせようというのが「解脱」です。

 

「解脱」をすると、もう生まれ変わらなくなるそうです。
つまり、生まれ変わりも「輪廻」であり、「原因」と「結果」の繰り返しなのです。

 

それってどういうことでしょうか。
来世に生まれ変わってしまう「原因」とは?

 

仏教の本によると、人は誰でも死ぬのに、いざ死を迎える時になると「死にたくない」「もっと生きていたい」と思ってしまいます。
その結果またこの世に生まれて来るのだそうです!

その「意識」のエネルギーが残っていて、続いてしまうのです。

 

面白いですね。

 

仏教では、この世は「無常」だと言います。
常に変わるものであるということです。
ずっと続くものなどないということです。

ところが、ほっておくと意志のエネルギーが続いてしまうというのは一体なぜでしょうか??

 

これは私の考えですが、物質以外の範囲では「無常」ではないんじゃないかと思うのです。

物質である肉体は死んでしまいます。
果物も腐ってしまいます。
地形だって変化しています。

でも、物質部分以外の別の周波数の世界では、このような変化はないのではないかという気がするのです。

 

なぜそう思うかというと、この世が「無常」であるにも関わらす、ずっと続くと感じてしまうから。
それは私たちの「意識」というものが本来物質外の周波数帯に存在していて、そこではずっと続くのが当たり前だったとしたら、物質が無常で、常に変わってしまうということの方が特殊すぎてついて来れないのかも。と思ったからです。

 

「変化」するのは「時間」があるからです。
なので、別の周波数帯では「時間」に束縛されないのかもしれないですね。

 

おそらく殆どの人が変化を「苦痛」と感じることがあるのではないでしょうか。
毎日アイスを食べていたのに、「食べちゃダメ」と言われたら苦痛です。
ずっと夜型だったのに朝型に変えるのが苦痛とか。
ずっと目指していたゴールがあったのに、別の道を行かなくてはならなくなったら苦痛とか。

とかく、一度やり始めたことを変えるのは苦痛です。

これを仏教では「執着」と言うようですけれど。

 

これは、無常である物質界に、普遍である意識があることで生まれるギャップで、
そのギャップのせいで「苦しみ」が生まれているのではないでしょうか。

 

誰かとの死別に悲しんでいるのも、ずっと続くと感じていたものがいなくなってしまうという苦しみがあると思います。

上司となって、ダメな後輩の面倒を見ていたのに、ある日追い越されるとショックを受ける。
それはいつまでもダメなままだと思っていた相手が成長するという変化について行ってないから起こる苦しみです。

子供の頃天才と言われ、自信を持っていたのに、大きくなって成績が落ちると落ち込んでしまう。
自分はずっと天才でいられると思っていたのに、努力を怠ると追い越されるに決まっているのに、それに意識がついて行けない。などなど。

 

そんな「無常」な世界はとっとと卒業して、普遍である世界へ帰ることが「解脱」なのかもしれません。
そうすれば、「変化」の苦痛に苦しむこともありません。

 

しかし!逆に変化できるのが物質界だけだったとしたらどうでしょう。
帰ってしまったら変化できません。
帰ってしまっていいんですか??

 

今とは違う自分になりたい。変えたい。成長したい。

もしも意識がそうの望んでいるなら、この「無常」である物質界でしかそれができないのかもしれませんよ。

 

今井宏枝